出:エジプト・モーセの足跡を辿る・スエズ〜セント・カテリーナ
第1日目 | 関空〜ソウル〜デュバイ〜カイロ | 第2日目 | カイロ・エジプト考古学博物館・ムハンマド・アリ・モスク |
第3日目 | アレキサンドリア・グレコローマン博物館 ポンペイノの柱・カタコンベ |
第4日目 | ギザ・3大ピラミッド・メンフィス遺跡 サッカラ:階段ピラミッド・ダハシュール:屈曲ピラミッド |
第5日目 | 出:エジプト記・モーセの足跡を辿る・スエズ | 第6日目 | 紅海のリゾートから聖なる街・セントカタリーナ |
第7日目 | 旧約聖書・十戒を授かったシナイ山登山 ベトウィンを訪ねて |
第8日目 | モーセの泉から泥棒市場・ハーン・ハリ・ハリーリ ナイル川クルーズ |
第9日目 | カイロ〜デュバイ〜ソウル | 第10日目 | ソウル〜関空 |
ファラオの眠る大地・エジプト《T》・《U》・《V》・《W》・《X》・《Y》・《Z》 画像の上にカーソルを乗せて下さい
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昨晩楽しみにしていた、『ギザ・音と光のショウ』が突然キャンセル。 何でもステージトラブルの為、その日のショウは全てキャンセルに!う〜ン残念!! 翌日はいよいよ旧約聖書の舞台。シナイ半島に向け約500km程の大移動。 午前6時過ぎバスはホテルを出発、早朝のカイロ市内を抜け、一路砂漠道路を 運河の街スエズに向けひた走る。約1時間30分掛けてアフリカ大陸の東端 スエズの街に到着。スエズ運河の南端でバスを降り、暫し運河観光。 対岸にはアジア大陸が間近に見える。タイミング良く大型のコンテナ船が スエズ湾から運河を北上してきた。 此処スエズはクレオパトラが活躍している時代からの古い港町 |
スエズ運河 1854年フランスの外交官フェルナンド・ド・レセップスがエジプト総督サイード・パシャ から運河建設の許可を取付け、国営スエズ運河会社を設立。1859年地中海沿岸に 新しい港を建設、ポート・サイードと名付けて建設工事が始まった。 長さ168km幅22m深さ8mの運河が10年後の1869年に完成した。 当時スエズ運河建設に反対していたイギリスが後にエジプトからスエズ運河会社の 株式を買取り、1884年以降72年間独占した。しかし1952年に革命が起き 共和国になったエジプトは,1956年7月スエズ運河の国有化をナセル大統領が宣言!! 反発したイギリス・フランスがエジプトと敵対していたイスラエルを後押しし戦争に その結果1956年10月から1975年6月迄運河の通行が出来なくなった。 石油などの運搬に支障をきたし、世界的なオイルショックは記憶に新しい。 |
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スエズ運河・左・地中海方面。右はスエズ湾。対岸にはアジア大陸が |
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此処スエズの街は1967年に勃発した、第三次中東戦争の時、戦場となり 街は壊滅状態になった。1973年の第四次中東戦争でエジプトがイスラエルから スエズを奪還、1975年運河は航行を再開し、今ではすっかり元の街に戻っている その後街中の魚市場に出掛ける。運河沿いの小さな魚市場だが水揚げされた ばかりの魚介類が処狭しと並べられ威勢の良い掛け声が聞こえてくる。 見れば日本でも馴染み深いボラやイカ・クエ・ワタリガニ?等が見受けられる。 市場を一歩外に出れば路上でナツメヤシ・ブドウ・バナナ・イチジク・マンゴー などカラフルで多彩な果物が売られている |
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スエズの魚市場・中央の狭い入口から入ると両側に水揚げされたばかりの魚介類が並ぶ |
バスはスエズ運河をどの様に渡るのかと思っていたら、何と街の少し北側に 長さ3km程のアハメッド・ハムディ・トンネル(第四次中東戦争の将校の名)を通過する。 モーセの時代には神の奇跡で海を割って渡ったが、今では車で僅か10分足らずで アジア大陸だ。このまま今日の宿泊地に向かって南下するのかと思いきや 何と反対の北側に移動する?何でも2001年10月9日に開通した アジア大陸とアフリカ大陸の二大陸を結ぶ唯一の橋(日本の経済協力によって建設) スエズ運河架橋『日本・エジプト友好橋・ムバラク平和大橋』に向うそうだ。此処は イスマイリヤとポートサイードのほぼ中間、アンタラの町に架かる全長9km 水面からの高さ70mの巨大な橋がスエズ運河を跨いでいる。 |
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橋を渡り上から眺める運河は遙か遠くまで続く、一旦アフリカ大陸に戻りそのままUターン もう一度渡ろうとすると、何やら検問所でもめている?どうやら警備の車が来るまで 其処に待機しろと云われたらしい、どの位待たされるやらと思っていると、予想に反し 20分程で軍隊の警備車が遣ってきた、思わずガイドと乗客一同、拍手喝采^0^) 往復200km程の寄り道が終わり、今日の宿泊地ラス・セドルに向け来た道を戻る 途中モーセの泉のある、アイン・ムーサ(帰路に立寄る)を過ぎ、右手にスエズ湾 左手に荒涼とした砂漠地帯を通ると、所々に野ラクダが群れている。突然、 砂漠の真ん中に近代的な建物が現れる。此処が今夜の宿、ヒルトンH:ラス・セドル。 |
宿泊棟は広い敷地に点在するコテージタイプ。少し歩けば白い砂浜が広がるスエズ湾。 プライベートビーチには沖に向かって長い桟橋。海は透明度が高く対岸にはアフリカ大陸 明日の出発は午後からと久し振りにユックリ出来る。ホテルのレストランでの食事は やっとエジプト料理から開放され^0^)イタリアン(エジプト風?)だった。食事後ホテルの プールサイドでは生バンドの演奏やベリーダンスが催され夜遅くまで賑わった。 翌朝、遅く起き出し海岸を散策、ビーチにはウインドサーフィン・シュノーケルや ジェットスキー・ダイビング等のマリンスポーツが数多く楽しめる。海は遠浅で 透明度も高く、海に伸びる桟橋からは、群れる小魚がよく見える。 |
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ホテルのビーチからスエズ湾を望む |
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午後12時30分ホテルを出発。昼食後、今日の目的地、聖カテリーナに向け シナイ半島を更に南下。途中、『出:エジプト記』レピデムの奇跡の舞台と云われる ワディ・フィランオアシスに立寄る。椰子の木に囲まれた岩山の一角に修道院の 跡が残る。此処はイスラエルの民がアマレク人と戦った場所でモーセが手を 挙げ続けたと云われる丘だ。この辺りから砂漠の平原が花崗岩の岩山が続く 高原地帯に変わる。後僅かで世界で最も古いギリシャ正教の修道院がある 聖カテリーナに到着。明日は早朝に今旅第二のハイライト、モーセが神から 十戒を授かったと云われる、シナイ山(2358m)に登る為、早めに就寝する。 |
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ワディ・フィランオアシス |
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いつの間にか周りは岩山に | 聖カテリーナへの入口 | セント・カテリーナ・プラザホテル |
出:エジプト記 旧約聖書の第2巻である出:エジプト記は、その名の通り「イスラエル民族(ヘブライ人)がエジプトから出た」ことが記録されています。 創世記の最後で、ヤコブの子孫たちはエジプトに移住しました。しかし時が流れ、ヤコブの子孫であるイスラエル民族(ヘブライ人)は エジプトで奴隷となって苦しんでいたのです。益々増えるイスラエル民族(ヘブライ人)の勢力にファラオは危険を感じ 力をそぐために『ヘブライ人に生まれた男児は、ことごとく河に投げ入れよ』こうしてイスラエルの民の苦難が始まったのです。 ヘブライ人モーセが産声を上げたのは、このような危機的な状況下だった。彼らのうめき声は天に届き、神は民族の父祖である ア(エイ)ブラハムとイサクとヤコブに約束したカナンの地(現在のパレスチナ)へと導くのです。この時代、エジプトのファラオは ラムセス(ラメセス)U世だったと云われている。この後は映画『十戒』や『プリンス・オブ・エジプト』をご覧下さい。^0^) |
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