歴史と文化と世界遺産の国・イタリア 2010.1.20〜27  

第1日目 関空〜ローマ〜ミラノ 第2日目 ミラノ市内観光〜ヴェローナ観光〜ヴェネツィア
第3日目 ヴェネツィア観光〜フィレンツェ 第4日目 フィレンツェ観光〜ピサ観光
第5日目 フィレンツェ〜ローマ市内観光 第6日目 1日自由行動
第7:8日目 ローマ〜関空

古代ローマ帝国から続く永遠の都・ローマ ITALIA Indexへ

トラジメーノ湖 いよいよ最終目的地、ローマへ移動する朝。予定しているローマへの
アウトストラーダA1(高速道路)が、第二次世界大戦時の不発弾処理で
途中で通行止めとか?ローマ到着が予定時刻より随分遅れそうなので

早めの出発となった。A1のベットッレからE35線でペルージャを目指し
走り抜けます。そう、ペルージャは中田英寿選手が在籍した街です。
車窓から右にトラジメーノ湖が見えるとペルージャの街は近い。窓から
見える街並みは山肌に張り付く様に建っている。ぺルージャを過ぎると
E45線に乗り換えローマを目指します。この辺りからバスの揺れが心地
良く眠ってしまいました^^)気が付けばローマの市街が見下ろせる郊外

予定時刻より少しは遅れましたが早速レストランでの昼食タイム。眠って
いてもお腹は空きますね^^)今日のメニューはローマ風ピザ。実に直径
40cmは有りそうな薄くて大きなピザでした^^)食後に再びバスに乗り込み
ローマ風ピッツア
サン・ピエトロ大聖堂 最初の見学地。ヴァチカンへ向かいます。バスはサン・ピエトロ広場に
続く、コンチリアツィオーネ通り(和解の道)の地下駐車場に滑り込む。
バスを降りて地上に出ると、正面にドカーンとサン・ピエトロ大聖堂が

望めますよ。広場手前の白線が、イタリアとヴァチカン市国の国境なん
だって^^)勿論国境と言ってもパスポートも入国管理局もありません^^)
面積は約0.44kuと国際的承認を受ける独立国としては世界最小で
何と東京ディズニーランドよりも狭いんだって^^)大聖堂の前には
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの列柱廊が建ち、ミケランジェロが
主任建築家にもなった大聖堂が威容を誇っている。内部見学の

為に列柱廊を抜けてゲート前に並びますが、セキュリティは厳重
まるで空港並だ^^)ゲートを抜け石段を登ると大扉。一歩足を踏み
入れると荘厳な雰囲気が漂うが、内部の装飾は実に絢爛豪華^^)
ベルニーニの大天蓋
フォロ・ロマーノ ミケランジェロの設計と言われる大円蓋(クーポラ)や代表作"ピエタ"
ベルニーニの大天蓋(バルダッキーノ)や聖ペテロの玉座等々とても
30分少々の駆け足では堪能しきれない程の芸術作品が並びます。

此処での必見のヴァチカン美術館は、明日のフリータイムで楽しもう。
次に向かうのはコロッセオ。車窓から"ローマの休日"で有名な"真実
の口"があるサンタ・マリア・イン・コスメディアン教会や古代ローマの
中枢だったフォロ・ロマーノ等を見ながら、コロッセオに到着です。
先ずは手前のコンスタンティヌス帝の凱旋門、その向こうに当時の
ローマ市民を熱狂の渦に巻き込んだ、古代ローマ帝国の娯楽の

殿堂コロッセオが2000年もの時を隔てても尚、圧倒的な存在感を
誇っています。僅か20分程の駆け足でトレヴィの泉へと移動です。
バスは少し外れた場所に停車し徒歩で移動です。僅か数分歩けば
コロッセオ
トレヴィの泉 トレヴィの泉。想像したよりも随分と大きくまるでプールだ^^)しかも泉の
周りには物凄い観光客で大混雑^^)順番を待って左肩越しにコインを
投げ入れました。此れでもう一度ローマに来る事が出来るでしょうか?

泉の周りには何軒ものジェラート屋。一度位は食べておきましょうね。
混雑のトレヴィの泉を後にしてスペイン広場へ向います。此方も随分
賑わっています。スペイン階段は映画:ローマの休日ではオードリー
ヘプバーンがジェラートを食べていましたが、今は飲食禁止なんだ
そうだ。スペイン階段を上がるとローマの旧市街地が見渡せます。

右、遠くにはサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ。スペイン階段下から
真っ直ぐ伸びるのはブランドショップが並ぶコンドッティ通りですね。

少し歩いてバスに乗りレプッブリカ広場に移動。本日最後のお買物
タイムはローマ三越です。今夜の宿はローマから車で20分程離れ
た新市街エウローパのアルベルゴ・ホテル:クリストフォロ・コロンボ。
スペイン広場

コロッセオ トレヴィの泉:スペイン広場と永遠の都・ローマの街並みT

ローマって?
romamap 伝説によればローマは紀元前753年4月21日に
ギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫
双子のロムルスとレムスにより建てられました。
その後ロムルスは7代続く王政ローマの初代の王となり
またローマの市名の元となったとされています。

都市国家ローマから王政ローマを経て
共和政ローマ・ローマ帝国の首都となり
皇帝ディオクレティアヌスがニコメディアに遷都するまで
世界帝国の中心として君臨し続けました。


人口は約270万人でイタリアで最も人口が多い都市。
かつてのローマ帝国の首都であったため西洋文明圏を
代表する都市の一つであり、カトリック教会の中枢でもあり
そしてまた、その美しさから永遠の都と称されます。

   その他詳しくはイタリア政府観光局

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