奥の細道:松尾芭蕉も訪ねた山寺(立石寺) 2007.9.12

山寺(宝珠山阿所川院立石寺)縁起

山寺の別称をもつ立石寺(りっしゃくじ)、正式には"宝珠山阿所川院立石寺"と言います。
平安時代の初め貞観2年(860年)第56代清和天皇の勅願によって慈覚大師円仁が開山。
天台宗に属するお寺ですが、広くこの地方の宗派を越え、信仰を集めているそうです。

境内は52万坪にも及ぶ広大な敷地を持ち、奥の院迄は八百七十段もの石段が続いています。

詳しい情報は山寺観光協会のホームページへどうぞ。

山寺登山口
根本中堂
山寺登山口
山寺への参道は山門までは一方通行です。
此処から階段を登ると正面には根本中堂。
下山時は山門から右手、下山口から下る。
根本中堂:国宝
貞観2年(860年)慈覚大師が創建
正平12年(1357年)出羽按察使斯波兼頼が再建。
昭和38年(1963年)再建から600余年ぶりに
解体修理が行われ建立当時のものに復元された。

第56代清和天皇御宝塔
芭蕉句碑
第56代清和天皇御宝塔 芭蕉句碑
芭蕉が奥の細道の旅の折、山寺で詠んだ有名な句
《閑さや 岩にしみ入 蝉の声》

芭蕉像と弟子の曽良の像
山寺の蝉論争

閑さや岩にしみ入蝉の声」の「」が
どんな蝉であるのか、多くの議論があり。
昭和の初期には、歌人の斎藤茂吉と
芭蕉研究家の小宮豊隆との間で
激しい論戦が繰り広げられたそう。
茂吉はアブラゼミ、小宮はニイニイゼミと主張。
実際に山寺に入って調査が行われた。
その結果、芭蕉が山寺を訪れた5月27日
(新暦7月13日)頃、鳴き出しているのは
ニイニイゼミで、山寺界隈ではこの頃
未だアブラゼミは鳴かないという事が判り
茂吉が敗れた形で蝉論議は終結した。
芭蕉像と弟子の曽良の像

日枝神社


鐘楼堂
日枝神社
慈覚大師が立石寺一山の守護神として
比叡山延暦寺から山王権現を勧請して祭った。
鐘楼堂
大晦日NHK「除夜の鐘」で
知られる鐘楼堂。

>山門
石段
百丈岩
山門
鎌倉時代に建てられた
此処からは有料です。
登山口から山寺全体に千十五段
(高度差は約160m)もある石段。
百丈岩
岩上に五大堂や納経堂、開山堂が建つ。

蝉塚
弥陀洞
蝉塚
芭蕉が書いた短冊を埋めて石碑を建てた場所。
当初山門の傍らに築かれたが後年現在地に移された。
弥陀洞
長い歳月に因る自然の営みが岩を風化させ
阿弥陀如来像を彷彿させる謂れから。
岩に刻み込まれているのは岩卒塔婆。

仁王門
仁王門から奥の院
奥の院
仁王門
嘉永年間に立石寺第六十五世
情田和尚が現在の仁王門を建立した。
左右の仁王像は運慶第十三代の後裔
平井源七郎の作と伝えられる。
仁王門から奥の院へ続く参道には
観明院、性相院、金乗院、中性院等
数多くの院が点在しています。
奥の院
正式には「如法堂」慈覚大師が国々を
巡行の際に持ち歩いたという
釈迦牟尼仏と多宝如来が本尊。
三重小塔

胎内堂と釈迦堂
胎内堂と釈迦堂(右上)
金乗院の前庭から山側を見上げると岩穴が。
此処が「胎内くぐり」と言われる場所。
かつては谷に架かる梯子を伝い頭上にせり出した
岩穴を潜り胎内堂へ更に岩峰上の釈迦堂に至る。
今では修行者以外立入禁止だそう。
三重小塔
奥の院を背に右手に向うと華蔵院
その手前岩窟の中に納められた三重小塔。
高さが2.4m余りという全国で最も小さい。
昭和27年(1952年)に国の重要文化財に指定。
納経堂と開山堂
五大堂
納経堂と開山堂
百丈岩の頂に建つ納経堂は
経文を安置する堂で山内で最も古い建物。
右の開山堂は慈覚大師の廟所。
五大堂
正徳4年(1714年)に再建された舞台造りの御堂。
慈覚大師が五大明王を安置し仏法の隆盛と
天下泰平を祈った道場。
五大堂は山寺随一の展望台。
五大堂内部の様子
五大堂内部の様子

クリックするとわいどびゅう
五大堂からの展望(クリックするとわいどびゅう)

遥か頭上には五大堂:開山堂が
JR仙山線:山寺駅
JR仙山線:山寺駅
山寺の街並み
山寺の街並み
山寺名物力こんにゃく
遥か頭上には五大堂:開山堂が 山寺名物"力こんにゃく"