北国街道今庄宿と"かたくり祭":福井県 2009.4.6

北国街道:今庄宿

北国街道は京の都から大津、彦根、米原を経て福井県に入り、敦賀から武生、鯖江、福井を通り
金沢、富山、新潟まで続く全長約520kmに及ぶ街道。東海道、中山道、甲州道、奥州道、日光道
の五街道に次ぎ、江戸幕府によって整備及び管理された脇街道の一つ。

中でも今庄宿から福井宿間は戦国時代、織田信長の重臣であった北ノ庄城主・柴田勝家が
主君織田信長公居城の、安土城とを結ぶ道を確保するために開いたとも言われています。

今庄宿は江戸時代前期の天和3年(1683)で240軒、幕末の天保年間の記録では
戸数290軒、人口1300余人、旅篭屋55軒、茶屋15軒、酒屋15軒等と賑わったそう。


JR北陸本線:今庄駅
北国街道:今庄宿
JR北陸本線:今庄駅

北陸トンネル開通前は当駅で補助機関車を
増結・開放していた為、構内は広くかつては
機関区もあり非常に賑わっていたが今は・・・
北国街道:今庄宿

卯建(うだつ)が上がる町並み
間口は狭く奥行きの深い、町屋敷特有の
短冊型の屋敷が街道に沿って並んでいる。
北国街道:今庄宿
造り酒屋:(資)北善商店
北国街道:今庄宿

京藤甚五郎家
天保年間(1830-44年)の建造物で当時は造り酒屋
隣から火が移るのを防ぐ卯建が上がっている。
北国街道:今庄宿

造り酒屋:(資)北善商店
江戸時代初期に庄屋を営むかたわら、旅人に
お酒を売っていたのが始まりと言われる酒蔵。
北国街道:今庄宿
北国街道:今庄・新羅神社
北国街道:今庄宿

街道は小さく屈曲を繰り返しながら
緩いカーブを描いて続いている。
北国街道:今庄・新羅神社

今庄の地は、新羅民族の移住地として開け
新羅(しらき)から白城→今城→今庄と変わったとか。
今庄・新羅神社境内カタクリ自生地
今庄・新羅神社境内カタクリ自生地
今庄・新羅神社境内カタクリ自生地

新羅神社境内の概ね3haの広さの斜面に
約10万本もの"かたくり"が自生する。
今庄・新羅神社境内カタクリ自生地

新羅神社かたくり自生地入口には
保護管理の為の協力金の募金箱が
 花言葉は「初恋」「嫉妬」「寂しさに耐える」
花言葉は「初恋」「嫉妬」「寂しさに耐える」
かつて片栗粉は花の鱗茎から作られていましたが、現在では殆どがジャガイモの澱粉です。

シロバナカタクリ
キクザキイチゲ
カタクリ(片栗)
シロバナカタクリ
1万株に1株の確立で変異を起こし
中々見る事が出来ない貴重な花。
キクザキイチゲ
カタクリと共にスプリングエフェメラルと
呼ばれるエフェメラル(短命)プラント。
カタクリ(片栗)
開花には7-8年も掛かりますが僅か
1-2ヶ月間で地上から姿を消します。

斜面一面、見事に群生するカタクリ
這いつくばって撮影するカメラマン
斜面一面、見事に群生するカタクリ 這いつくばって撮影するカメラマン

今庄かたくり祭
2009.4.5(日)〜4.21(月)



詳しくは南越前町のサイト